15年を経て私に届いた夫からの葉書 其の一
2017-10-19 Thu 01:19
昔の葉書の話  (私にしか役立たない話と思われますのでスルー推奨)




其の一   † 文箱をあける



直視できなかったから、
自分が守る生活と子育てと、仕事と現実でいっぱいいっぱいで、
震える指で文箱に閉じ込めて、15年経ったら読んでもいいと思っていた。

旦那からの葉書たち。


最初の消印は平成14年の10月17日



何故読むのに15年もの時間が必要かと思い起こせば、
1年、2年で状況や気持ちが変わるはずも、問題でもなく、
10年ではまだ子供が未成年で、
自分が親としての責任を十分に果たせていない。


子供を社会に出す(出せるに至る)ことができたら、
その時はしっかり読めると、思ったからの年月だろう。


それ程私にはつらかったのだ。 読むことが。





葉書の差出人は私の夫。


場所は福島県ぬる湯温泉の、人里離れた宿から書いたものだ。


古くから眼病に効く湯治場で、時代が100年以上止まっているような、山深いその宿。

そこは標高も高く夏でも肌寒い。 

雨の夜などは綿布団が必要なくらいだ。


道なきに等しい谷を下れば吾妻小富士が広がるという。


訪れるのは長逗留になる、目の病を持ったひと達ばかりだから、
朝日を浴び、鳥の声を聞きながら周辺を散策・・・などは危なくてできはしない。

足を滑らせかねない。
(数年前ですら、まだ携帯も繋がらないと聞いたが。)


「それに奥さん、その橋より奥へ行くと熊が出るよ。」と言われ鳥肌が立った。

生まれて初めて、後にも先にもあんな山の中の不思議な宿に行ったことはない。


100年以上前に建てられた鄙びた木造で、一部が茅葺きの屋根。

不思議に思えるのは、何処を歩いても軋む廊下に、隣の客部屋とは襖一枚を隔て、
鍵も付いていないという、超レトロさだからだけではない。

それしか思いつかないので、不気味的な言い方をしてしまえば、
宿が生きているんじゃないかと思え、意味もなくキョロキョロしてしまっていた。


冬は雪深くなり、宿の人さえ生活ができず町へ降りる為、
居られるのは確か4月から11月の初め頃までだったと思う。


ぬる湯という名前通り、水と変わらない温度の温泉で、11月になると凍えそうに寒い。


旦那はそこに、数ヶ月から半年の間、ひとりで湯治をする生活を、5年程繰り返したのだ。




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子供が生まれるほんの少し前に、旦那は病例が極端に少ないタイプの角膜変性症になった。 
突然。

当時の医療では不治で、いずれは失明と言われてしまい途方に暮れた。

何かないかと、それこそ自分たちにできる、色々な治療方法を片っ端から試みていたのだ。


すがっていたと言うべきだろう。


民間療法ともなれば、当然お金や時間の苦労もかなりのもので、
何より大事な子供への遺伝を含めた、将来の不安や恐怖は、
とっくのとうに私たち家族に積もりに積もっていた。



その時でもう8年の闘病。

疲れたけれどしようがない。 どうしようもない。

焦るものの砂を噛むような虚しい毎日。


延々と先が見えずに、待つのは失明なのかと、一番つらいのは本人であろう、
そんな旦那からの葉書を、私は震えてどうしても読むことができずに、
文箱の中に15年間も閉じ込めてしまっていた。



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やっと届きました
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ずっと覚えていたわけではなく、かと言ってきれいに忘れてしまえるわけはなく、
先週タイムリーに、そう言えばと手にしました。


これも何かの縁とでも思い、深呼吸をして読んだのは、差し出されてから丁度15年目の10月17日。

別段重要な内容が書いてあるわけではない事は、最初からわかっていました。

私と子供に宛てた、毎年数ヶ月~半年離れて過ごす彼からの近況報告。

そして私達を心配する言葉。



何故それがそれ程つらくて読めなかったのかですよね。



今は仕事がつまっていることもあり、
いつかまたその気になったら(他の誰にでもない自分の為に)続きを書きます。

気持ちの整理と今後への考えを固めていくのを兼ねて。

機会を逃すと書かなそうなので、尻切れトンボながらこうして記しておきました。




よほど見たくなかったのか、二重に箱を閉じているあたり、自分で自分を笑ってしまった。
また旦那の字がウルトラ汚くて別の意味で読めないの。
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取り急ぎ15年前の旦那と私に (もし伝えられるとしたら


ちゃんと手に取り読みましたよ。 安心してください、もう大丈夫。

小さかった子供も大きくなり、ほぼ手を離れたようなものです。

させたくはない苦労をかけてしまった・・・。


要領が悪くて回り道もずいぶんあったけれど、やることはやってきたから。 

できることは一つひとつやってきたから。


何故自分にとって要らないものがあるのかも(いらないからなんだけど)、心底わかった。

開放感のような、清々した気持ちですよ。


だから平気。

あとは幸せに絡めて紡いでしまえば、不器用でもイビツでも、1本の糸になっていくから。









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ご挨拶
2017-07-07 Fri 22:51
ご挨拶



二十数年にわたる介護に区切りをつける時がきました。

26歳の時からですので、人生のほぼ半分になるかという長い時間です。

当時はいずれ失明といわれていた旦那、徘徊し肺がんで亡くなった父、認知症の母。

認知症の母につけいるパラサイト姉。

まだ介護の終了ではありませんが、気持ちの整理が大分ついてきました。

できることはできる限りしてきたことと、もうここを拠りどころとしする役目を終えたと思える為、最後に幾つかの記事を残し、こちらのカテを一旦ここで閉じさせていただきます。

信頼できる方々に出会えて心より感謝致します。
どうもありがとうございました。


2017.07



鬼灯
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黒い川に鬼灯を浮かべ灯してみた


するとそこは川ではなく  淀み 
溜まったまま行き場のない水だった


浅い薄汚い川に浮かんだ鬼灯


あの鬼灯を踏めば パンを踏んだ少女のように自分ごと深く深く沈んでいくんだろう  




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そんなもんだったんだね   ルカ



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そんなもんだったんだよ クリス



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役目を終えた時に


これ以上真夏日になると無理なので、涼しい朝のうちにスケッチへ。

絵ではないのですが努力されている方に感化されて、私も上達したいとの気持ちがでてきました。

今からでもまた大事なものが見つかりそう。



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浅草寺へお礼参りと、お盆の提灯かわりにほおずきを買ってきました。

26歳から二十数年してきた介護に区切りをつけたら、重い肩の荷がおり目の前が徐々に晴れて見通しが良いです。


長すぎた。

好きでやっていたわけなどないし、元々デキが悪いからプラスに変えるよりも、失ったものの方が遥かに多い。

それでも信用できる人に出会えたし、福祉関係の住宅設計も強くなれました。

0歳児保育への仕事も従事できたし、これからもっともっと頑張りたい。

それに自分の時間もたくさん増えたじゃないか。

あの頃からしたらなんて身軽・・・。


そして遅かりしの感ありきながら、最近古い友人の言葉でやっと気づけたことがありました。

ただ「朝ご飯を母に作ってもらっている。」とたったそれだけなんですが、それも朝はパン系かご飯系かの流れで、それだけの他愛ない話で終わって。

でも気づいたことがあり救われたんですわ。 


夏野菜モリモリサラダ
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今年のほおずき市は風鈴の音がいつもより清らかに聴こえたりしました。

ガラス風鈴のチンカラも心なしか天上的。


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介護が終了したわけではありませんが、記載するその役目が終わったと言うのが近いかもしれません。

自分は救われ助かった場所であり、その目的で始めた傾向のブログですが、多くの方にはお目汚しでしかなかったと思います。

お詫び致します。






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