偏愛
2017-02-19 Sun 05:26
※タイトルから苦手と思われる方はスルー推奨です。
当方の夫婦間の内容で、お見苦しい限りと思います。




偏愛:ある物や人だけをかたよって 愛すること。また、その愛情。
偏る:取り扱いや考え方などが不公平・不公正になる。
ある部分にだけ集まって,全体の釣り合いを欠く。




旦那の私への執着心、と言っていいのかその関わり方は、
今でこそお互い歳も経てわりと穏やかなものだけれど、
以前は理解に苦しむものであったと思い返すことがある。


先日かつての職場仲間と随分と久しぶりにまた仕事で会う機会があり、
その時に「そういえばストー〇〇の旦那さんお元気?(笑)」と言われ、
うわー・・・・って、それは今だから苦笑いできるけれど・・・。

フラバ。

あの時は辛かったな。

家で仕事の電話をすれば何故か浮気を疑われたり、
仕事で遅くなれば血相を変えて「誰と会っていた」って言われ、
職場には頻繁に旦那から電話があり、社長が同情してくれた程。
社長や周りが「大変だね。」と言いながら若干笑いを堪えていたのは知っていたけれど。
そうだ、当時上司が旦那につけたあだ名が「白虎隊の旦那」。(あちらの方の坊ちゃんで)


当時は旦那も不治と言われた視力障害で(現在は両眼角膜移植)、
精神的に猜疑心も高まっていたんでしょうが、それにしてもおかしかった。
仕事、子育て、介護、勉強、家事、自分の精一杯をただ地道に真面目にやっていたのに。

自分の要領や頭が悪いのはわかっている。
人よりも欠落している部分があるとも思う。
でもあそこまで疑われる程何が悪いのか理解不能でつらかった。ほんと。


旦那は子供を目に入れても痛くない程可愛がっていて、
猫可愛がり過ぎな位の、普通以上に優しいパパ。
(子供からしたら親なんてどこかしこ不満はあるだろうけれど 目も不自由だったし)


じゃあ旦那は私には優しくないというわけではなく、
むしろ今だに簡単にナス味噌炒めを作っただけで褒められるから戸惑うし、
花瓶に花をテキトーに生けただけで、さすが上手とか言って喜ばれたり、
趣味に関しては苦言どころか、
「田舎(実家)みたいに庭があったらそこに小さなログハウスを建てて、
ママは猫と人形と遊んだり、絵を描いたりすればいいのにな。」
と甘い、甘すぎる。


かと思うと夜のまだ10時前にコンビニに行こうとすると、
「やめろ、わざわざこんな夜になんか。何考えてんだ、朝行けばいいだろ。」
とたかがそんなことでいちいち怒られる。
徒歩3分圏内にコンビニが4軒もあるようなとこなのに、小学生じゃあるまいしっ。


母の介護で精神的に疲れてひとりになりたくて、
「ひとりになりたいんで2,3日旅行してきていい?」って聞くと、

「夜だけうちに帰ってくればいいけど。」

は?

え? 毎日うちと現地を行き来するの? 時間や交通費がもったいないけれど。 

「そういう問題じゃないだろ。」


どーいう問題なんだろう!?


あとかなりつらいのは、人として落ち込んだり悩んだりして当然の事態でも、
落ち込んでいると怒られること。
悩んでいる真っ最中にその性格はいい加減直せと言われると、
追い打ちをかけられている気持ちになり沈む。
そしてまた怒られるエンドレスリピート(笑)。


そしてすごい感覚だと感心するのは、
とても落ち込む内容の封書が来て、呆然としていたら、
「そんなものは今開封してどうなるわけじゃないから、
冷蔵庫にでもいれてフリーズしておけ!」と。

つよ!てか無神経。
言われた通りいれておきましたけどね、封書を冷蔵庫の真空チルドルームに。


もう慣れたけれど助けて欲しい。
旦那は他にこだわっているものはない。ドラマとか好きだけれど趣味ではない。
(強いて言えば猫とか可愛いもの好き 篳篥・ひちりきはまた時間ができたら習いたいらしい)
歳が離れている分のお互いの価値観や距離を差し引いても、
よくそこまで私なんかに執着できると不思議。
(出張先に愛人でも作ればいいのに、とは言ってある
友人にはそれがいけないんじゃない、と教えてもらった)


”自分勝手な自己愛が異常に強い人”だと長年思っていた。
なんだかんだ理想を押し付けて、結局は自分が一番大事だからなんじゃないかと。
そういう人だと。


それが最近、本当についここ最近、
旦那のは自己愛じゃなくて、俗に言う「偏愛」なんじゃないかと気づいた。
偏った愛情。

とても今更ながら。


そう考えたら納得とか合致とか、あきらめが急速につきはじめた。

自己愛が強いのならば一人で好きにすればいい。
一人になればいい。
勝手にすればいいし、こちらは極力放っておいて欲しい。
邪魔もしない。
それなのに一緒にいたがり、理想を押し付けられるのが嫌でならなかった。



でも偏愛であったら仕方ない。(良くはない 特に子供へは 判断が病む)
それは相手のことを思っていながらも、相手や常識とのバランスが悪すぎるのだろう。
受け入れられなくても、仕方ないと思うことができてラクになる。
誰しもそういうところ、マイナスな面はあるよね、と寛容さが出てくる。



私はブログのタイトルでもあるように、
ブログを自己流箱庭療法と思っている部分が大きい。
(それゆえひと様の役に立たつ内容ではなく申し訳ありません。
情報の受発信、共有センスもすこぶる低いので他SNSはやっていません。)

ここで人形達が動いてくれることで無意識にでも自己表現になっていて、
色々自分で自分自身がわからない部分を模索して、教えてもらっていることが多々ある。


それで何人かの偏愛を持った人形を見ていて、今回はたと気がついたという次第。
この歳までそれに気づかないのは・・・
おそらく自分もそういう人間だからじゃないだろうか。
旦那ほどではないにしろ。


今少し不思議な気持ちです。

そしてなによりも普通が一番です。



結婚前からのもある古い雑誌。(嫁入り道具w)またゆっくり読み返している。
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2017-01-09 Mon 18:04



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教室A





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過去撮分



同じ先生に習っていた墨絵仲間からの賀状をずっと眺めていた。

自分とは対照的で、華やかで豪快な絵を描く彼女。

随分年上の元スナックの美人ママで、
女性らしい外見とはうらはらにいつまでも少年のように闊達としている。

亡くなった先生に年々そっくりになっていくその文字にうれしくて泣けてきた。

なにがうれしいんだろう。

自分にとって大事なものが繋がれていくことがかな。



繋げていくことと、ぶった切ることはどちらが簡単だろう。

切る方が簡単だと思っていた。


どちらも同じように難しくて苦しい。
立ち止まって考えてしまう。


元々できの悪い頭なのだから、
どうしようもない時は何も考えずに、墨を摩って運筆をいちから始める。

頭も口も手にはかなわないよな、と運筆をすると、
手からはやってきたことがそのままでてくる。


ひいた線が糸のように見えてきた。

この糸を繋げるのも切るのもここまでやってきた自分なんだから、
難しくても苦しむことはないんじゃないかと、そう思えてくる。
どちらを選んでも、それでいいんだろうと。

絡まってほどけなければ切ればいい。
いつかもしかしたら、
また結ぶこともあるかもしれない。




そうこうしているうちに、夕飯の買い物に行かなくてはいけない時間だ。
毎日のことながら、こうして切り替えられる時間はありがたい。

そろそろ旦那になにが食べたいか聞いてこよう。





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