消えない思い
2019-03-11 Mon 18:00
                                              


8年前の部屋の様子です。ガラケー撮です。

東京は震度5強で、チェスト上にプラケースに入れ飾っていた人形達が無残に落下し散乱しています。

この時私は小さな金魚鉢を胸に抱えて濡れながら「〇君、〇君廊下に出て!〇君早く!」
と部屋にいる子供の名前を叫んでいました。


残っているのはセシルとウィル 強っ
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ごめんね皆、私が悪かった・・・


子供が春休みか試験休みかで、私の傍にいてくれたのが本当に何よりでした。

そうでなければ初めて経験する規模の揺れに、
当時既に高校生とはいえ、息子が心配で私はパニック気味になっていたかもしれません。

同区内のマンションに住み介護中だった母にはすぐ電話連絡がつき、
事前に地震対策を旦那とできるかぎりしておいたので、小物が多少落ちたり、
金魚の水槽がザブンザブン溢れてリビングが水浸しになったくらいですみました。

仕事で移動中だった旦那は安全そうなビルのネットカフェに避難し、
余震や交通の様子をみてから帰るとの連絡があり、こちらも早々に無事が確認でき安心しました。

自宅の家具などはある程度対策をしており、ガラスやお皿が割れるなどもありませんでした。

一番ひどくて申し訳なかった画像の人形達には幸い見えるような傷はなく、
以降不安定なケースでそのまま飾るのは避けるようにしています。

今現在の自室は小皿や小物を多く飾っているので危険です。見直さなくてはいけません。


あの時最も心配だったのは福島に住む義父母のことでした。

全く連絡がつかず、時間が経つにつれ言葉も出ない惨状がニュースで流れ息が苦しくなります。

一体何がおこっているのか・・・どうなってしまうのか、どうすればいいのか。

心臓がドキドキしっぱなしです。(半年以上薬が手放せませんでした)

東京で何もできないことに居ても立ってもいられず、
公衆電話なら繋がり易いかと何度自宅と往復したことでしょう。

やっと3日目に、義姉の携帯で連絡がつきふたりが無事だと聞いて声を上げて泣きました。

古い家屋は半壊状態で、義父母は丁度庭の手入れの最中だった為大事にならずにすみました。

塀は崩れて道路側に散乱。家の中の壁はあちこち落ち、大型の家具は倒れまくり。

・・・迂闊なことにしていませんでした、私達は旦那の実家の家具の転倒防止を。

もしふたりが家の中にいたら、運転中だったらと考えると今でも寒気がします。

この時期、特にあの日東北は寒いのにライフラインは止まったままで、
近所の自家発電のあるお宅に皆で集まり、暖をとらせていただいたそうです。

義父母宅はお米や野菜、トイレットペーパーなど日用品を二人暮らしにしては大量に買い置きするので、
皆さんに使ってもらえたと喜んでいました。


義母はいまだ何かにつけ、近所のお友達の助け合いがなによりの支えだったと言います。

震災時はこれ以上のものはなかったと。

それを聞き地域から引っ越してマンション住まいを勧めるのは諦め、
汚染土を入れ替え更地にして杭打ちを頑丈にし、
耐震と防犯を万全にした戸建てを新築をしました。(旦那監修)

ありがたいことに老夫婦は今も歳のわりには元気にしており、
ご近所のお仲間や親戚も健在で、頻繁に遊びに来てくれるそうで良かったです。


良かったと思わせてくれるありがたさ・・・。これにつきます。

毎年同じようなことを書き申し訳ありませんが、あの時から変わらない思いを改めて刻んでいます。


東日本大震災で多くの大切な命が消えてしまいました。

心よりご冥福をお祈り致します。


近年は巨大台風の被害も多く、うちの家族が健常な大人ばかりだからですが、
もしもの時は連絡のとれない家族の心配をして危険で勝手な行動はとらず、
まずは自分の身は自分で守ることにお互い専念しようと家族で決めています。

それが周囲へも自分へも一番いいのではないかとの考えです。


震災以降小さな子供の姿を見かけることがめっきり減った旦那の実家付近です。

いずれあちらに住むことになったら、希望として留学生さんのホストファミリーになりたいです。

うちも以前子供が世話になったもので、慣れない地域で安心して住んでもらいたい気持ちがあります。

旦那は震災以降建物の診断士(ボランティア)になっています。

私にできることは相変わらず狭くて小さいですが、
子供や若いひとが育つことの役に立ち、今までもらってきたことの事をお返しをしていきたいです。

そう、歳ですね。(*´∀`*)



本日もご覧下さりありがとうございました。

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草の戸もいずれ雛の家
2019-03-04 Mon 01:30
日常話



桃の節句、我が家に娘はいませんから、春を迎える季節の行事と健康を祝うスタンスです。

それでもお雛様を飾ったり眺めたりするのは、華やかで懐かしくていいものです。


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旦那がA市の保育園の設計をした時、
私もパースなどの仕事をした縁でそちらの卒園祝賀会に呼んでいただきました。

息子も0歳からお世話になっていたので、園にはどれだけ感謝していることか。

勿論いいことばかりではありませんが、当時旦那が長期療養休職中で、
私が仕事をして生活してこれたのは保育園のおかげであり、
あの時の恩返しのようなことが、仕事を通しできて良かったねと旦那と思っています。

たいしたことは、特に私はできていませんが、
子育て時の色々なお返しが、そろそろひとまず終わりかなと思うところです。

介護も25歳から23年3人を看ましたから、ガタが来た自分のリハビリをゆっくりしています。

あまりにも心身疲れると、自分がどれだけ具合が悪いか、立って歩けなくなるまで自覚がありませんでした。

あとはなんというか・・・つらかった経験は今後にいかし、必要になったらまたその時考えます。

長年頑張って疲れた為、今はしばらく旦那と一緒に休職中です。(´∀`*)

やるだけやったから成るように成るという気持ちが大きい。

次の生活はこちらからガンガン向かっていくよりも、むこうからひょっこりやってくるような気がします。
(やる気がないとも言えますね 実際ありません)
そのせいか不安もなく。

子供や周囲に迷惑がかかるから、対策だけはきちんとしておかないといけませんが。

3月は生活が切り替わる時期だからか、そんなことを考えがちです。


自分のお雛様を持っておらず、これは数年前に私が自分に買ったはじめての親王雛
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松尾芭蕉の好きな句のひとつで「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」があり、
毎年この時期に思い出します。

これは自分(芭蕉)はお雛様なんて縁がない暮らしだけれど、
次に住む者は雛を飾り、にぎやかな光景がこの家には見られるのだろうという句です。

我が家も昔はお雛様を飾る余裕がなかなかありませんでした。(娘がいないこともあり)

いつからか簡素ながら家族で桃の節句のお祝いできるようになりました。

これまでを振り返り、ちょっとこの句を自分なりにかみしめてみたり。



呼んでいただいたA市からの観光先、静かで穏やかな海岸通りや古い町並み、
歴史や時代が感じられる、町をあげての雛のお祭り風景。
栄えた港町の大商人が集めた様々で貴重なお雛様の数々。
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うちのプチひな祭り

新鮮でおいしい鱈がいつもの車で来る魚屋さんで手に入ったので、鱈ちり鍋に桜の塩漬けをトッピング。
本当は桃なんでしょうが・・・桜の花入ワインも春らしいから。
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息子とYouTubeで実写版銀魂2を見て大笑いして、
旦那とはくまモンコラボの天然温泉銭湯に行ってきましたよ。

こんなのんび~り何事もなく、平和な雛祭りを過ごせて感謝なんです。


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本日もご覧頂きありがとうございました。
次回はまた天使の窓のワンオフの続きですよ。

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